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自然崇拝宗教の問題点

これまで私は長い間、

「自然崇拝宗教」こそが素晴らしいものである、
と考えてきました。

「人間崇拝宗教」とは、「自然崇拝宗教」を、
人間が巧妙にミスリードしたものであると、
信じていたんですね。

だがしかし所詮は、失敗作か良く言えば未完成の人類が考える事。
自然災害から逃れるために、
スケープゴート、つまり「生贄」を、
身内の中から、自然に向けて差し出すようになった、

これは多分、「肉食」の過程で、
動物霊に憑依されてしまったのも原因なのかもしれませんが。
そう、その生贄は「自然」に向けて差し出しているのではなく、
「動物霊」に向けて差し出している可能性がある、と。
となると「動物霊崇拝」にもなりますね。


つまり、自然崇拝宗教そのものにも、既に危険な要素が含まれていたんですね。


自然崇拝宗教の変質過程

第一段階:
自然崇拝宗教→動物から怨まれる事を回避するために、
動物に対し人間を生贄として捧げる事で動物霊崇拝→悪魔崇拝へと変化した

第二段階:
自然崇拝宗教→自然災害を回避するために、
自然現象に対し人間を生贄として捧げる事で悪魔崇拝へと変化した

第三段階:
自然崇拝宗教→支配者が自分に崇拝の方向を向けるために「自然」を「自分」とした


いやはや人間が考える事ですから、必ずや変な方向にいってしまうんですね。


悪魔がどうして人間+動物の姿をしているのか?
肉食の過程で動物崇拝から悪魔崇拝へと変貌してしまった、
そういう訳らしいですね。肉食で人格が変質してしまうのです。
これは実体験談ですが、菜食生活に切り替えれば、
以前よりも少しはマシな人間になれます。


では、何も危険性がない自然崇拝宗教とは?
・生贄儀式を行わない
・組織化せず個人的に考えるだけ
・「自然」を、地球、宇宙、とかいった、壮大な規模まで拡大していく


「宗教」という概念そのものが、もはや危険だったんですね。
「哲学」というものとも違う。


宇宙を「誰かが作った」、仕組みそのものを「誰かが作った」、
この「作った」「創造した」という考え方が、人間の脳の限界です。
では「作ったものを作ったのは誰か?」みたいな話になってしまいますね。

いやもしかしたら「崇拝する」という考え方も、
また違うのでしょう。


この様に、人間の脳では決して理解できない「何か」なのですから、
潔く諦めてしまう事が肝心です。

ではどうすればいいのか?というと、
決して理解できない「何か」に「感謝」し続ける、
そういうことであれば、害がうまれることもないのだろう、
そう思う今日この頃です



(続く)


そう、「感謝」する対象を特定してしまうと、
そこからまた要らぬ争いが起こる場合もある、と・・・歴史が証明しております


いや~、なかなか気は抜けませんね










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